子供の頃から、プロテニスの試合をテレビで観てきたのだけど
ぽっかりと、テニスを観た記憶が全くない期間があって。

それは、自分が怪我をしていた時期で。

自分がつらい時に、やりたくてもできないことを
人がやっているのを観るのが苦しくて
たぶん、無意識に(?)遠ざけていたんだと思う。

でも、大人になって、より多くの情報に触れられるようにもなって
プロの選手にしても、怪我などで棄権を余儀なくされたり
手術やリハビリで長期離脱したりすることがわかった。

自分がつらい時に、自分以外の人のつらさを優先する必要も
自分のつらさと誰かのつらさを比べる必要もないと思う。

でも、人のつらさ、つらい状況を知ると、
誰にでもそういう時期があるのだと思えるんじゃないかな。

あと、つらい状況にいると、「つらい、つらい」って
思ってしまうだろうし、それは否定しないけど
「つらい」って思わなくてもいいんじゃないかな。
もし、人に「つらいでしょう」とか「かわいそうに」とか
言われても自分が思ってないなら思わなくていい気がする。

第一線を離れてリハビリとかをしている選手を見ても、
その状況を直視して受け入れて日々のやるべきことに注力しているから。
たぶん、そうしたら自分を肯定できるし、気持ちもついてくるんじゃないかな。
それこそが強さだし、学ぶべき点だなと思った。

あ!
逆に人がつらそうだなんて思わないような状況にあっても
自分がつらい時には「つらい」ってガンガン言っていいのではないか。

でもね〜、渦中にいると混乱したり悩んだりするものだよね〜。
これだって、あとから思い返してみればの記事だし〜。

ただ、自分のつらさに鈍感になるのが一番よくないと思うんだ〜。
つらさに敏感になって、ちょっとでもつらいと思ったら
すぐさま自分を少しでもつらくない状況につれていったほうが
ずるずる悩み続けるより回復もはやい気がするんだ〜。*1

誰に強要するでもなく、
自分のつらさを無視するのも、必要以上に重視するのも
私はやめようと思ったのでした。


*2

*1:その場しのぎでなく

*2:こういう気持ちをぎゅっとすると「どうでもいい」になるんだけどもっといい言い方ないものか〜。